2011年07月04日
これまでやってきたこと そして これから
日本の食糧の自給率は40%をきっています。外国から食料が買えなくなったら多くの人が飢えることになります。
5年前になりますが、会社をリタイヤしたことを機に、自分で食べるものは自分でつくり、知り合いにも配ることができたらと考えました。それにより、ほんの僅かですが自給率を上げることになります。無論有機肥料無農薬でです。
どこでできるかなと、あちこち探しました。探しているなかで、福島県いわき市の支援団体が、空き家を世話してくれることになり、田舎暮らしをスタートさせることができました。
畑は広い方がいいと思い(その後の大変さを考えずに)、2反(約600坪)借りました。そこは10年以上耕作放棄されていたところで、背丈ほどの草や低木に覆われていました。万能鍬で土を起こし、土をやわらかくし、種を播き、あとから後から生えてくる草を抜き、次々に襲ってくる虫と戦いながら、やっとこさ野菜を育てることができました。
野菜を配った知り合いから、「ありがとう」「おいしかった」という声が返ってくると嬉しくなり、草取りや虫取りが大変ですが、これらに負けずにまたつくろうと元気が出てきます。この繰返しで、これまで続けることがてきました。
しかしながら、この原発事故で続けることができなくなり、やめることにしました。
でも、この経験を何かの形で生かすことができたらと考えています。
5年前になりますが、会社をリタイヤしたことを機に、自分で食べるものは自分でつくり、知り合いにも配ることができたらと考えました。それにより、ほんの僅かですが自給率を上げることになります。無論有機肥料無農薬でです。
どこでできるかなと、あちこち探しました。探しているなかで、福島県いわき市の支援団体が、空き家を世話してくれることになり、田舎暮らしをスタートさせることができました。
畑は広い方がいいと思い(その後の大変さを考えずに)、2反(約600坪)借りました。そこは10年以上耕作放棄されていたところで、背丈ほどの草や低木に覆われていました。万能鍬で土を起こし、土をやわらかくし、種を播き、あとから後から生えてくる草を抜き、次々に襲ってくる虫と戦いながら、やっとこさ野菜を育てることができました。
野菜を配った知り合いから、「ありがとう」「おいしかった」という声が返ってくると嬉しくなり、草取りや虫取りが大変ですが、これらに負けずにまたつくろうと元気が出てきます。この繰返しで、これまで続けることがてきました。
しかしながら、この原発事故で続けることができなくなり、やめることにしました。
でも、この経験を何かの形で生かすことができたらと考えています。